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震災の記憶

今日は会社からお休みがいただけた日で、のんびりしているのですが、
そういえば震災の日だったのですね。

誰に対しても何の役にも立ちませんが、
2011年3月11日の記憶を書き留めておきますね。

1.揺れた
 突然強烈な揺れが発生。そのとき私は、自分の事務所の机で作業していました。
 事務室では、意外と落ちたものやこぼした飲み物などはなく、特に後始末など必要なかったです。
 私は実験室に若干のスペースを持っているのですが、特に機材などが床に落ちた様子もなかったです。

2.帰れない
 信号機も止まり、交通機関の様子もわからない。
 最悪、歩けば帰れるのでしょうけど、切れた電線が落ちて触れて感電するとか、
 頭上に緩んだ看板とか落ちてくるかも、それにこれから夜に向かって視界も悪くなる、と思うと
 これはじっとしていたほうが良いな、朝になるまでとどまろうと思いました。
 会社から私の自宅までは、電車とバスで一時間以上かかりますので容易に動けませんでした。
 会社まで徒歩や自転車で通勤している人は帰ったのですが、
 自宅が停電していて何もできないとかで、会社に戻ってくる人もいました。
 会社は停電していませんでした。
 夜の8時ぐらいまで仕事して、そのあとはそのころ新刊だった
 CUDA by Example 汎用GPUプログラミング入門を読んでいました。
 職場ではワンセグが大人気でした。みんなで見ていました。

3.そのころ子供は
 子供はその日、試験休みを利用して、中華街のカラオケ屋に遊びにいっていて震災にあったのですが、
 震災後に数時間歩いて自宅に帰ったらしいです。途中、海側から黒い煙が上がっていたそうで、
 後のニュースで、根岸の製油所が壊れたことを知りました。製油所のどのあたりだったのかは、わかりませんが…
 子供とはずっとtwitterで連絡をとりあっていました。携帯メールや電話はつながりませんでした。
 子供の友達などで、中華街から遠くて帰れない子は、学校に泊めてもらったそうです。

4.非常食もらった
 さて夜になるとお腹が空きます。一応職場は工場の敷地内なので、非常食などの備蓄があり、配付されました。
 乾パン保存水をいただきました。乾パンは、ビールがほしくなる味。保存水は…うん、水だ。
 震源地となっている東北地方は津波が起きたとかで大変そうだけど、自宅にいる母親は無事か、とか、
 この先どうなるんだろうな、とか、自分の心配事で頭がいっぱいでした。

5.帰宅した
 停電がなおって、信号機が復旧したころを見計らって、会社近くに住む人が車を出してくれました。
 そこに、会社から少し離れたところに住んでいて車を持っている人と持っていない人がセットで
 乗り込んで順次送ることになりました。
 私はどの方の家からも遠いので、送らせては悪いと思い、朝まで会社に残ろうと思って
 自分から乗せてほしいとは言わなかったのですが、
 車を持っている上司が家まで送ってくれました。感謝。
 家についたのはほとんど明け方でした。
 風呂に入って寝て起きて、テレビを見たら被災地の状況が、何だかすごいことになっていたのでした…

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